大阪地方裁判所 昭和58年(わ)4414号 判決 1983年12月15日
主文
被告人を懲役三年に処する。
未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入する。
押収してある自動式けん銃一丁を没収する。
本件公訴事実中、被告人が門原安雄らと共謀のうえ、法定の除外事由がないのに、昭和五八年四月七日午後三時五七分ころ、大阪市南区久左衛門町一八番地の一二酒梅組系隈村組事務所前路上で回転弾倉式けん銃一丁及び火薬類であるけん銃用実包三発を所持したとの点(昭和五八年八月一二日付起訴状公訴事実の第二の事実)については、被告人は無罪。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、大阪市内の暴力団東組系柴田組の若頭であるが、
第一 同じ東組系で、京都府舞鶴市内に組事務所をもつ暴力団原組の若頭補佐門原安雄および同組若頭中村こと柳正奎の両名が、原組事務所を、そのころ東組と対立抗争状態にあった暴力団酒梅組配下組員によって襲撃され組員一名がけん銃弾により重傷を負わされたことに対する報復として、酒梅組系の組事務所を襲撃すべく、舞鶴から来阪し、大阪市南区久左衛門町一八番地の一二酒梅組系隈村組事務所を襲撃の対象と決め、同事務所内にいる同組組員らを殺害しようと共謀のうえ、同年四月七日午後三時五七分ころ、同事務所前路上で、門原において、所携のけん銃をもって、同事務所内にいた同組組員木村利光こと金鐘洙(当時四六年)および情報収集のためその場に居合わせた大阪府南警察署巡査部長黒田實(当時三八年)の両名を射殺すべく、各二発あて発射すべく引金を引いたが、いずれも不発に終わったため殺害の目的を遂げなかった、という殺人未遂の犯行を行った際、その情を知りながら、あらかじめ柳の依頼を受け、犯行前日の同月六日、大阪市内の地理に不案内の同人および門原を連れて同市内の酒梅組系組事務所約一〇か所を案内してその所在場所等を教えるなどし、右両名において襲撃の対象を前記隈村組事務所と決定するについて力を貸したうえ、更に犯行当日の同月七日、タクシーを利用して実行行為者である門原を同組事務所付近まで案内搬送し、もって同人らの右各犯行を容易にしてこれを幇助し
第二 三重県尾鷲市内において、暴力団東組尾鷲支部と暴力団野口組との間に対立抗争状態が生起した際、野口組組長野口堯令方にけん銃弾を撃ち込む目的で、法定の除外事由がないのに、同年六月二四日午前四時五〇分ころ、同市大字中井浦一一四九番地の一一の同人方西側車庫上において、自動式けん銃一丁および火薬類である実包四発を所持し
たものである。
(証拠の標目)《省略》
(殺人未遂の共同正犯の訴因に対し従犯を認定した理由)
検察官は、判示第一の事実につき被告人は殺人未遂の共謀共同正犯としての責任を負う旨主張するところ、本件につき取り調べた関係証拠によると、前判示のとおり、被告人が、門原および柳の両名の共謀に基づく右殺人未遂の犯行に際し、その情を知りながら右犯行を容易にする判示所為に出ていることは、これを認めることができるが、右犯行について被告人が門原らと共謀していたとの点については、その証明は十分でなく、被告人の罪責は従犯にとどまるものと解するのが相当である。その理由を詳説すれば、次のとおりである。すなわち、
《証拠省略》によると、本件犯行に至る経緯は概ね次のとおりと認められる。
(一) 昭和五八年二月ころから、東組と酒梅組との間において、互いに相手方系列の組事務所にけん銃弾を撃ち込むなどの事態が頻発していたところ、被告人の所属する東組系柴田組組長は、このような事態を招いた責任が東組にあることなどの理由から、酒梅組との右抗争状態を早期に終わらせたいとの意向を有し、柴田組が相手方から襲撃を受けていないこともあって、被告人ら組員に対し、右抗争に関し一切動いてはならない旨の指示命令をしていた。
(二) 同月二四日、酒梅組系天竜会組員が、京都府舞鶴市内に縄張りを置く東組系原組事務所内にけん銃を撃ち込み、同組組員一名に対し、足に大けがを負わせるという事態が発生したことから、同組若頭補佐門原および同組若頭柳は、極道としての体面上、原組として大阪市内に事務所を置く酒梅組系暴力団に対し、けん銃による報復をすることを決意したが、右両名とも同市内の地理に詳しくなかったため、柳において、同年四月初めころ、同系列の組の若頭でかねて顔見知りの被告人に対し、柳らの右意図を打ち明け、襲撃の対象とするべき酒梅組系組事務所の所在を案内してもらいたい旨依頼し、その承諾をえた。
(三) そこで被告人は、柴田組組長の命令には背くことになるが、友好団体の原組への義理立てとして同月六日、舞鶴市から来阪した門原および柳とともに同人運転の車に乗り、大阪市内の酒梅組本家、隈村組等酒梅組系の組事務所約一〇か所を案内して各事務所付近の人通り、すでに襲撃を受けたか否かなどを説明し、その後被告人方近くの喫茶店「ボナール」に翌日落ち会うこととして右両名と別れた。
なお、このように道案内を依頼された被告人は、このころ門原および柳に対し、「わしも一緒にかち込みに行かせてくれ。」といった内容の発言をしているが、これに対し、原組としての報復行為であるかち込みに他の組の若頭の力を借りるわけにはいかないとの門原の意向が強く、右両名からは、道案内以上の協力は不要である旨の返答を受けた。
(四) 翌同月七日午後一時ころ、被告人は、「ボナール」店内で両名と落ち会ったが、その際、両名が襲撃の対象を隈村組と決めた旨を聞かされて、これに反対し、同組組長と東組系伊藤組組長とが兄弟分の盃を交わしていることなどを理由に隈村組を襲撃することに難色を示したが、今更やめられないと主張する柳らを説得することができず、両名の顔を立てて結局これを了承した。
(五) 右喫茶店内において、柳は、同人が用意した紙袋入りのけん銃を同店内の他の客にわからないようにテーブルの下から門原に手渡し、同人は紙袋からけん銃を抜き取ってこれを着用の作業服ズボンのポケットにしまい込んだ。
(六) そして被告人らは、同日午後二時ころ、うちそろって右喫茶店を出てタクシーに乗り、被告人が助手席に、門原および柳が後部座席にそれぞれ着席して隈村組付近まで赴き、同所に到着するや、門原のみがタクシーを降りて前記犯行に及び、被告人および柳は、被告人方に引き返した。
(七) タクシーから一人で降りた門原は、あらかじめ隈村組事務所前を通って同事務所内に同組組員らがいることを確認し、付近の喫茶店便所内で所携のけん銃に実包を装填したうえ、再び同事務所前路上に赴き、同日午後三時五七分ころ、同所から同事務所内にいた同組組員らめがけてけん銃弾を発射すべく引金を引いたが不発に終わったため、その場を逃走した。
(八) 被告人および柳が被告人方にいると、同日午後四時二〇分ころ、大阪市西成区内のお好み焼屋まで逃げて来た門原から電話がかかり、両名で同所まで同人を迎えに行って再び被告人方に戻り、門原が引金を引いてもけん銃弾が発射しなかったと訴えたため、被告人は、「おれは自衛隊にいたことがあるからけん銃のことはよくわかる。」と言って、右けん銃を点検した。
(九) 当時被告人は、住居地であるシャルム難波一階の高見組資材置場にけん銃一丁を隠し持っていたが、本件犯行に際して右けん銃を使用しておらず、またこれを使用するよう門原に申し出ることもしなかった。
以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そこで、右事実を前提とし、被告人の刑責を検討するに、まず、被告人の認識内容について、被告人は、当公判廷において、門原らが酒梅組系組事務所に対する襲撃の意図を有していることは知っていたが、同人らが同事務所内にいる組員らを殺害するとの意図を有しているとは知らなかったし、また、犯行当日門原らとともにタクシーで隈村組事務所付近まで同行したことはあるが、その直後同人が本件犯行に及ぶとは知らなかった旨供述している。
しかし、実行行為者である門原は、本件犯行に際し、あらかじめ隈村組事務所内に組員らが現在することを確認したうえ、同人らめがけて至近距離からけん銃弾を発射すべく引金を引くなど明白な殺人未遂の所為に出ているものであるところ、東組系柴田組若頭であり酒梅組との抗争の実状を把握している被告人は、あらかじめ柳から受けた依頼内容からして、同人らがけん銃弾を組事務所内に撃ち込むとの計画を有していることを当初から十分認識しており、その他原組が襲撃を受けた際の状況をも考慮すると、門原において単に窓ガラス等を損壊するにとどまらず、判示のような殺人未遂の所為に出るであろうことは十分予想しえたものと考えられ、また本件犯行に至る経緯、とりわけ犯行当日において被告人は、隈村組事務所を襲撃の対象と決めた門原らに対し、このことに難色を示したものの、結局その後直ちに三人で前日に案内したばかりの同事務所付近までタクシーで直行し、同所で門原一人が同車から降りているのを認識していることなどからすれば、被告人が、その直後門原において本件犯行に及ぶであろうことを知りながら同人を犯行現場まで案内したことは明らかであり、被告人の前記各供述は、いずれもその捜査段階における供述に照らして信用できず、被告人が門原らにおいて判示のような殺人未遂の所為に及ぶことを知りながら、これを容易にするような判示各所為に出たことは、十分これを認めることができる。
次に、更に進んで被告人が右殺人未遂の犯行について共謀共同正犯としての責任を負うかどうかの点につき検討するのに、一般に共謀共同正犯が成立するためには、二人以上の者が、特定の犯罪を行うため、共同意思の下に一体となって互いに他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議を遂げ、よって犯罪を実行した事実が認められなければならず、このことによって、直接実行行為に関与しない者についても、同人が他人の行為をいわば自己の手段として犯罪を行ったという意味において、実行行為者と同等の刑責を負うべきものと解されるのであるが(最高裁昭和二九年(あ)第一〇五六号同三三年五月二八日大法廷判決・刑集一二巻八号一七一八頁参照)、これを本件についてみると、なるほど、被告人および門原、柳はいずれも東組配下の組員であって、対立中の酒梅組に対する襲撃のため、被告人は、柳の依頼に基づき大阪市内の酒梅組系組事務所約一〇か所を案内してその周辺の状況等を説明したほか、犯行当日も本件犯行現場付近まで門原らを案内しているなど本件犯行遂行のため軽視できない役割を担っていること、また、「わしも一緒にかち込みに行かせてくれ」などと発言していることなど被告人が本件犯行につき門原らと共謀していたことを窺わせるような事実も存在している。しかしながら、被告人らはいずれも同じ東組系列下に属するとはいえ、門原および柳の所属する原組が直接酒梅組配下の組員により襲撃を受けたのに対し、被告人の所属する柴田組はいまだ襲撃を受けておらず、門原らの報復手段としての本件犯行に積極的に加担する理由が十分でなく、加えて柴田組組長は東組内でもいわゆる和平派であって、被告人ら配下の組員に対し酒梅組との抗争に関して一切動いてはならないなどの指示を出していたなど、被告人としては表立った行動が取りにくい状況であったこと、被告人に対する柳らの依頼内容は、当初から一貫して大阪市内の地理に不案内の同人らを案内して酒梅組系の組事務所の所在を教えてもらいたい、というにあり、その後も本件犯行に至るまで同人らは被告人がこれ以上本件犯行に関与するのを明白に拒否し、被告人も当時自動式けん銃一丁を隠し持っていたにもかかわらずこれを本件犯行に使用することなく終わり、また本件犯行に至るまでこれを使用するよう柳らに申し出た形跡もなく、更に、犯行当日、柳らにおいて襲撃の対象を隈村組事務所と決めたことに対し、同組組長が東組系伊藤組組長と兄弟分の盃を交していることなどを理由に難色を示していることなど、被告人および柳、門原の双方について、本件犯行を互いに共同して実行しようとの積極的な意思の存在を否定させるような事情の存することなどの事実を総合すれば、被告人が同系列の組員からの依頼を断り切れず、案内程度ならよいと考えて大阪市内の地理に不案内の同人らを案内し、同市内の酒梅組系の組事務所の所在を教えた、との被告人の当公判廷における供述にはむげに排斥しがたいものがあり、被告人が本件殺人未遂の犯行を行うため門原らとともに共同意思の下に一体となって同人らの行為を自己の手段とし、よって右犯罪実行に及んだとまでは認めがたい、といわざるをえない。
もっとも、柳および門原の検察官に対する各供述調書中には、被告人は当初から盛んに「わしも一緒にかち込みに行かせてくれ。」などと積極的に実行行為に関与したい旨発言していたほか、犯行前日酒梅組系の組事務所の下見のあと、被告人方において三人で謀議をめぐらし、被告人の発案によって襲撃の対象を隈村組と選定し、ここでも被告人は「わしも一緒に行かせてくれ。」と発言していたが、けん銃が一丁しかなかったので門原を実行行為者とし、被告人は門原を犯行現場まで送り届ける旨の役割分担を決めた、との供述記載の存することは検察官主張のとおりであるが、まず、被告人が盛んに「わしも一緒にかち込みに行かせてくれ。」などと発言していたとの点については、右発言の趣旨が「犯行現場までの案内のため一緒に付いて行く。」という内容と解されないではないうえ、本件犯行において現実に被告人が果たした役割も結局前記認定以上のものでなかったこと、当時被告人が隠し持っていたけん銃の使用を柳らに申し出ていないことなどからすれば、被告人の右発言が、果たして被告人の真意に出たものかどうかには、少なからず疑問があり、舞鶴から報復にかけつけた門原らの手前、体裁を取り繕うための発言であると解する余地があるのであって右と同趣旨の被告人の当公判廷における供述もあながち排斥し去ることはできず、また、犯行前日の謀議の点についても、これを基礎づけるものは柳の供述しかなく、被告人ばかりか門原も捜査・公判段階を通じてこの点に関する供述を一切していないなど、必ずしも明確でないばかりか、柳の供述する謀議内容、とりわけ被告人が隈村組襲撃を発案したとの点は、その翌犯行当日において、被告人が同組を襲撃することに難色を示したことと明らかに矛盾し、その他先に説示した諸事情をも考慮すると、この点に関する柳の供述の信用性には多大の疑問をさしはさまざるをえないと考える。その他検察官の主張する諸事情は、いずれも信用性に疑問があるか、あるいは被告人の共謀を認定するのに不十分であり、他にこれを認めるに足りる証拠はないから、結局共謀の点はその証明が十分でなく、被告人の刑責は、従犯にとどまると解するのが相当である。
(法令の適用)
被告人の判示第一の金鐘洙および黒田實に対する各殺人未遂幇助の所為は、いずれも刑法六二条一項、二〇三条、一九九条に、判示第二の所為のうち、けん銃を所持した点は銃砲刀剣類所持等取締法(以下「銃刀法」という)三一条の二第一号、三条一項に、実包を所持した点は火薬類取締法五九条二号、二一条に、それぞれ該当するが、判示第一の金鐘洙および黒田實に対する各殺人未遂幇助の所為、ならびに判示第二のけん銃の所持と実包の所持は、それぞれ一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により、一罪として判示第一の各罪については犯情の重い黒田實に対する殺人未遂幇助罪の刑で、判示第二の各罪については重い銃刀法違反の罪の刑で各処断することとし、各所定刑中、判示第一の罪については有期懲役刑を、判示第二の銃刀法違反の罪については懲役刑を各選択し、なお判示第一の罪は従犯であるから、刑法六三条、六八条三号により法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により重い判示第二の銃刀法違反の罪の刑(ただし、短期は判示第一の罪の刑に前記法律上の減軽をしたそれによる)に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、刑法二一条を適用して未決勾留日数のうち一二〇日を右の刑に算入することとし、押収してある主文掲記の物件は判示第二の犯罪行為を組成した物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項一号、二項を適用してこれを没収する。
(量刑の理由)
本件各犯行は、いずれも暴力団同士の対立抗争をめぐり、その報復手段として敢行されたもので、とりわけ判示第一の犯行は、被告人と同じ東組系列下の組員の依頼に基づき同人らを案内して大阪市内の酒梅組系組事務所の所在を教えるなど同人らの犯行遂行にあたり決して軽視できない役割を担ったもので、その後正犯において白昼大胆にも公道上から組事務所内の組員ら二名に対し至近距離からけん銃弾を発射しようとした犯行態様の危険性にかんがみると、従犯にとどまるとはいえ、犯情は悪質であり、判示第二の犯行も、早朝周囲に民家が密集する中で対立中の組長方に向けてけん銃弾を発射する目的でこれを所持したという事案であって、その後実際にけん銃弾を発射し、組長方家屋にこれを命中させたばかりか、いまだ寝静まっていた付近住民に深刻な不安を与えたことなどの事情が認められるのであり、右いずれも暴力団特有の発想をもって法と秩序を無視した悪質な犯行であると評さざるをえず、被告人の刑責は重いといわなければならない。
しかしながら、他面、判示第一の犯行については、同系列下の組員の依頼によって同人らの犯行に加担したにすぎず、右犯行に使用されたけん銃にやや難があったため不発に終わり、幸いにも一人の死傷者も出さずにすんだこと、被告人は本件各犯行を反省していると窺えることなど被告人に有利な情状も存するので、これらの事情をも総合考慮したうえ、主文のとおり量刑した。
(一部無罪の理由)
本件公訴事実中、昭和五八年八月一二日付起訴状記載の公訴事実第二は、「被告人は、門原安雄らと共謀の上、法定の除外事由がないのに、昭和五八年四月七日午後三時五七分ころ、大阪市南区久左衛門町一八番地の一二酒梅組系隈村組事務所前路上において、回転弾倉式けん銃一丁及び火薬類であるけん銃用実包三発を所持したものである。」というにあり、要するに前記殺人未遂の犯行に際し門原が所持していた前記けん銃および実包に関し、その実行行為時をとらえた所持につきその共謀による責任を問うものであるが、既に詳細に説示したように、右殺人未遂の犯行について被告人が門原らと共謀していたとは認めがたいうえ、右けん銃等は、柳においてこれを用意し、犯行当日柳から直接門原に手渡されたもので、被告人は右受渡に関与していないことなどの事情に徴すると、門原の前記犯行時における右けん銃等の所持もまた被告人との共謀によるものとは認めがたく、更に被告人は、門原らが右態様で右けん銃等を所持するについて、これを容易にするような何らの所為にも出ていないことが明らかであるから、これについて従犯としての責任も問いえないといわなければならない。
よって、右公訴事実は犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条に従い、被告人に対し無罪の言渡しをする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡次郎 裁判官 吉田京子 田中俊次)